2016年09月22日

熊野田橋








2016年9月22日(木)

酒田市荻島にある酒田市立平田小学校の東にある、
にいだ川にかけられている橋が熊野田橋(くまのだばし)だ。

周り一面が平野地帯のこの場所が好きで良く行くが、
特にこの時期は稲の香りがしてとてもうれしくなる。

写真二枚目は上流方向。
東平田方向には桜橋をはじめ多くの橋が架けられている。
写真三枚目は左に平田小学校が見える。
まっすぐ行けば日本海にぶつかる。

この橋から見えるにいだ川は、
この時期でも適度の水量がある。
東山を水源とした水が延々と流れてきているのだ。

この熊野田橋ではある程度の広さがあるように見えるにいだ川だが、
この後堆積した泥や草などに阻まれて川幅は極端に細くなる。

それでも小魚がかなりの量いることが確認できた。
フナだろうか?
タナゴのようにも見えたが確認はできなかった。


  


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2016年09月18日

酒田本港と日本海






2016年9月18日(日)

昔酒田本港は日本海へ直接つながっていたが、
今はにいだ川と最上川の間に南突堤ができたおかげで、
冬の荒波が直接本港へは届いてこなくなっている。

遠く見えるのが日本海だが、
本港との間に一本何かが見える。
これが南突堤から延長されている護岸堤となっている。

釣り人はこの突堤を延々と歩いて釣れるポイントまで行く。
しかしその幅はわずかしかなく冬の荒波には簡単に飲まれてしまう。
突堤の上を波が洗う状態になるのだ。

ところで手前の本港はにいだ川から流れてくる水を、
日本海へと注いでいるのだが、
残念ながら水量が足りずに底流はほとんど海水が逆流している。

我が家の近くまでカレイやハゼ、セイゴ(スズキの幼魚)などが上がってくる。
流れない川は澱み(よどみ)となり、
夏には悪臭を放つ泥川となることもある。

市内中心部を流れる川がこんな状態で果たして良いのだろうか。
といつも思うのだが、それじゃあどうするのかと聞かれると困ってしまう。

今年の夏も日本のあちこちでゲリラ豪雨が話題になっていた。
短時間に雨量が極端に増える状態だが、
そんなときのために泥が貯まったにいだ川を、
再度整備する必要はないのだろうか?

幸福川との分かれ目辺りでは相当浅くなっているのがわかる。
屋形船も苦労して方向転換をしていたのを見ている。
何か今のうちに手を打つ必要がないのか考えたくなる。


※写真は日和山公園から見た酒田本港と日本海


  


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2016年08月21日

最上川とにいだ川




2016年8月21日(日)

朝早く起きて酒田市入船町から下瀬への通称南突堤付近を歩いてきた。
天気が良くてまぶしいくらいだったが、
釣り人の車が数珠つなぎになっていた。
さすがに日曜日だ。

写真左側が最上川、そして右側がにいだ川(酒田本港)。
この突堤を境にしているだけの二本の川。

その昔はこの二本の川は繋がっていたが、
暴れ川の最上川の治水工事で別れた。
それでも私が小さかった頃は水門で繋がっていて、
ハゼ釣り大会など行われていた。





こちらは最上川から日本海につながるところ。
スズキ狙いのルアー釣りが盛んにおこなわれていた。





にいだ川からつながる酒田本港。
定期船飛島丸はもっとずっと奥に発着所がある。
イカ釣り船や小型漁船、ヨット、遊漁船なども繋がれている。

今日も暑くなりそうだ。








  


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2016年08月15日

カフェスペースしまかへ




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2016年8月15日(月)

リオオリンピックと高校野球甲子園大会で連日熱戦が続く。
おかげで時間がいくらあっても足りないくらいだ。
最後まであきらめないしぶとい卓球女子や高校野球は目が離せない。
見ているものを引き付けて離さない。

8月10日に行った酒田市の離島飛島。
定期船飛島丸の発着所のすぐそばにある「カフェスペースしまかへ」。
メニューが大きく飾られていた。

私は持参したおにぎりを法木集落の一番はずれで食べたが、
カフェスペースしまかへの御馳走も美味しそうだ。

心臓手術をしてから魚の生臭い匂いに耐えられなくて、
魚やイカなどをほとんど口にしていない。
飛島の周りは海ばかり。
当然しまかへの料理は海のものが中心になる。

しかし、以前と少し変わっただろうか。
次回行ったときは何か注文してみようかと思う。




  


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2016年08月10日

飛島の街並み

2016年8月10日(水)

今日はお天気も良く風も収まったので飛島に行ってきた。
しかし、波は1.5m。
うねりが強くときおり船の窓には白い波しぶきがかかってきた。
誰も話す人もなく、ひたすら早く着かないかなぁとじっとしている人がほとんどだった。

唯一元気なのが子どもたち。
ゆれる船内を走り回っていた。

今回は飛島にある集落「勝浦」「中村」「法木」の街並みを写した。
まずは「勝浦集落」から。













そして「中村集落」。















少し離れて「法木集落」。
















この時期勝浦集落ではあちらこちらに普段見ることのないお店が出現する。
夏ならではのお土産売り場や食堂など、活気にあふれる。

春からこれで4回目になる飛島訪問だが、
これまではほとんど島民と会うことはなかったが、
さすがにこの時期は船から降りただけで、
旅館や民宿の幟を持った島民と会うことができる。

活気ある飛島を見るのはうれしい。
それ以上に私はこの青い空と緑の山々を見るのがうれしい。












  


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2016年08月06日

酒田甚句流しパレード










2016年8月6日(土)

昨日行われた酒田市の酒田甚句流しパレード。
参加した酒田市民は約2000人になるとか。

私もずっと職場のチームで参加していたが、
退職とともにチームを離れた。

今年は私がいつも行っている浜田小学校の踊りを見学に行ったが、
何と一番先頭で踊っていた。

知っている人と次から次と会いながら、
少しだけお話しをし、また次へと向かった。

おかげで汗が頭の先から足の先まで噴き出て、
全身ずぶぬれ状態になっていた。

暑い暑い夏の夜。
みんな元気いっぱいの酒田の街中だった。










  


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2016年06月26日

酒田市新町、海望楼




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2016年6月26日(日)

写真は酒田市南新町にある現在でも旅館業を営むホテル2軒。
左側の松美屋さんの屋根の破風(はふ)に注目していただきたい。
昔の字で「海望楼(かいぼうろう)」とある。

その昔は花街で鳴らした新町界隈。
その名残なのだろう。

ところで酒田の紹介としてこんな文章がある。(『全国遊廓案内』より)
少し長文になるが引用を許されたい。
ここに残しておきたい気持ちもある。


『酒田町遊廓は山形県飽海郡酒田町字新町に在つて、羽越線酒田駅で下車すれば西へ数丁、乗合自動車は新町で下車する。酒田港は和船万能時代には有名な港だった。庄内平野は勿論、遠くは米沢置賜方面の産物を最上川の水運に依つて一手に引受けて、一大荷物の集散地であつた。今は玆が起点と成つて鉄道が四方に敷かれたので昔程では無く成つたが、依然として交通上の要路である事を失はない。有名な大地主本間氏の根拠地で、別邸の庭園等は可成豪壮を極めたものである。「本間様には及びも無いが、せめて成り度や殿様に」と云ふ里謡がある程だ。遊廓も昔から殷賑して、今町、船場町、高野濱の三ヶ所に在つたものであるが、明治二十七年の大震災後に三ヶ所全部合併して今日に至つたものである。現在貸座敷が三十一軒あつて娼妓は約百人居るが、秋田県及山形県の女が多い・・・娼楼は小川屋、門真楼、福田楼、常磐家、藤美屋、緑屋、越後谷、群芳楼、櫻屋、吾妻家、松村屋、本五楼、柿崎屋、吉田屋、出島屋、西村屋、明園楼、藤屋、下総屋、喜楽亭、海望楼・・・・・・』


さて、この一番最後のところにある海望楼がこの旅館のことか。
その名残をひっそりと残しつつ職業を変え営業を続けている。

私が高校生の頃、この日和山の近くを通ると、
怪しげな旅館街があったような気がしたものだが、
それは高校生を近づけなくするための一種のデマだったと思う。

今は酒田灯台などで観光地化された日和山がある。





酒田湊もずいぶん健康的になった。
この界隈の観光にちからを入れ始めてきている。




  


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2016年06月15日

酒田駅周辺はどうなる?




2016年6月15日(水)

先日の12日(日)行われた酒田駅周辺整備事業公開プレゼンテーション審査。
残念ながら私は行くことができなかったが、
今日酒田市役所で公開している提案概要のパネル提示を見てきた。
一人一回というアンケート調査にも参加をしてきた。

写真やビデオ撮影は禁止となっており、
記録はとることができないため記憶でしか記録できなかった。

アンケートについても記録することができず、
この公開についても13日(月)~19日(日)までの短期間しかなかった。

記名については一人一回とのことからフルネームでの記名だった。

さて、A案からE案までの5案についてはそれぞれ隅から隅まで見てきたが、
大きな違いはないように思えた。
問題はこの大きな箱ものをどう誰が運営するのかがこれからの課題だろう。
それには人の育成について取り上げたものがあるのかを探してみたが、
この点についてはそう多くの案には無いものだった。

アンケートは確か三つの点についてそれぞれどの案が適しているのかを選ぶものだった。
私は三つの点について同じものを選ぶことはなかった。

今日私がいる間だけでも5~6人の人がアンケートを記入していたが、
どれだけ駅前地区の人たちが興味を持って見ているのだろうか。






これからどのくらいの人が記入するのかわからないが、
まだまだ公開は続いている。
ぜひ多くの人が参加をしながら、
自分たちの酒田駅前になるように進めていただきたいものである。


  


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2016年06月06日

能登興屋の灯台跡











2016年6月6日(月)

酒田市高砂は昔能登興屋(のどごや)と呼ばれ、
光ヶ丘野球場と陸上競技場の間の道をまっすぐに北へ向かうと、
現在の国道112号線にぶつかり、さらにまっすぐに進むと郵便局などがあった。

そこもなおまっすぐに進むと一軒のお店にぶつかった。
左へ曲がると強烈なのぼり坂が出現する。
ようやく登り切ると灯台があった。
能登興屋灯台だった。

初代酒田灯台は明治28年宮野浦地区に設置された。
現在そのときの木造6角洋式灯台は日和山公園に飾られている。
そして二代目は昭和33年コンクリート製のものが作られたとあるが、
この能登興屋地区の坂の上に建てられたのだった。

その後酒田北港開発が進み新しい「酒田北港緑地展望台」として生まれ変わっている。
これが三代目の酒田灯台となる。
平成11年12月の点灯であった。

二代目酒田灯台のあった場所は今「高砂灯台自然公園」となっている。
木製の碑には「国定公園飛島を望む能登興屋灯台場跡」と記されていた。
そして慈母観音像が建てられていた。


私が高校生の頃、この場所には良く来た記憶がある。
灯台のところまで登ればあとはまっすぐに海が見えた。
まだ開発が進む前の話である。

今はもう黒松の木々などが大きくなり、
海はほとんど見えなくなってしまった。
その代わりに緑地展望台や風車が見えたりする。

海岸方面へ続く道があった。
降りていくと海岸道路へ続いていた。















  


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2016年05月30日

赤川新川河口風景




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2016年5月30日(月)

まだ5月だというのにこの暑さは何だろうか。
いきなり暑くなって今日は30度になろうかという気温だった。

国道112号線を酒田から南下し最上川を過ぎて海岸沿いにさらに南へ進むと、
赤川が現れる。

橋の袂から海岸方面へ車を走らせると、
日本海が見えてくる。

砂浜に降りると心地よい風が私を迎えてくれた。
酒田から北にある日向川もそうだが、河口には砂浜以外何もない。
写真は南方面を写している。
左側の奥にアンテナのいっぱい立つ高館山が見える。











そもそも赤川は鶴岡市大鳥の新潟県境辺りを水源にし、
北へ流れて朝日村落合で梵字川と合流、鶴岡市内を通り酒田市浜中で日本海に注ぐ。

しかし、大正時代頃までは酒田市内に河口を持つ最上川と合流しており、
その周辺の洪水被害は甚大なものがあったと聞く。

対応策がいろいろと協議され途中から日本海へ流れを変えようとなった。
砂丘を掘削した大工事は1927年(昭和2年)赤川新川として完成した。
旧河川跡は水田として利用されている。

だからこの写真に写る赤川河口は人工的に作られた河口で、
赤川新川ということになる。

何も考えずにこの場に立てば、あぁきれいな河口だとしか映らない。
しかし、歴史はしっかりと刻まれており、先人の足跡がここにはある。

知ってか知らずかホオジロが美しい囀りを繰り返していた。





  


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2016年05月29日

光丘文庫卒寿の歴史






2016年5月29日(日)

今日は朝からお仕事。
昨日行った酒田市日吉町にある光丘文庫を掲載した。

すでに山形新聞5月7日号に掲載され知っている人も多くいると思うが、
この光丘文庫は今年の夏を持って休館となることが決まっている。

最後の所蔵展示が今行われているが、
その内容が書かれたチラシが入口ガラスに貼られてあった。

内容を転記する。

平成28年度酒田市光丘文庫前期所蔵展示
―「光丘文庫卒寿の歴史を刻んで」―
≪文庫黎明期より新たな出発に向けて≫

光丘文庫の歴史は大正12年に始まります。そのスタートは本間家の寄付行為により、
創設された財団法人光丘文庫です。
光丘文庫の所蔵本は約8万点、財団法人光丘文庫の本や資料をそのまま受け継いでいます。
今回の展示資料は、皇太子裕仁親王を始めとする光丘文庫に台臨された皇族方の写真、
光丘文庫建築現場写真、財団法人光丘文庫日誌、大川周明資料、石原莞爾資料、戦前の点字本、
など16種68点です。

これらの資料は創設93年間の光丘文庫の歴史を物語るもので、
現在の光丘文庫で開催する最後の展示です。

1.展示期間  平成28年4月12日(火)~7月31日(日)
2.開館時間  午前9時30分~午後4時45分
3.休館日   月曜日及び祝日
4.入場料   無量
5.駐車場   日和山公園駐車場をご利用ください。
6.お問合せ  酒田市立光丘文庫 ℡0234-22-0551


私が高校生だった頃は良く通った場所だった。
その頃は冷房もなく、ただ静かなことが特徴の勉強するところだった。

懐かしい場所がこれからどうなるのかはまだ決まっていない。
この中にある蔵書はすべて酒田市中町庁舎に移されることになっているが、
具体的な内容はまだまだ決まっていない。

7月31日までまだ少し間がある。
内部の写真は撮ることはできないが、
思い出に浸る時間はまだまだある。



  


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2016年05月17日

酒田祭り着々と準備中






2016年5月17日(火)

酒田市南新町にある日和山公園内の芝生の上。
昨日青空が広がるお天気のなか、準備が着々と進んでいた。
写真は立て山鉾。
中に鉄骨が入っているなんて初めて見た。

さて19日は酒田祭りの宵祭りの日。
午後4時から午後9時までここ日和山を会場にいろいろな催しが開催される。

松山藩荻野流砲術演武
酒田舞娘
立て山鉾の点灯式
秋田竿燈

などなどが華やかに開催されるが、
昨年は風が強く竿灯の皆さんは大変だったようだ。
今年は晴れの予報だがどうなるか。

一方こちらはやすらぎの塔のあるところ。
こちらでも例年のように賑やかなテントがお店作りに精をだしていた。



今年は私も19日20日とお休み。
じっくりと見学させてもらおうかと思う。


  


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2016年05月15日

酒田祭り御神宿




2016年5月15日(日)

5月19日から始まる酒田祭りの御神宿(とや)開きが今日だった。
写真は上の御神宿(酒田市筑後町稲荷神社)の様子。
中に飾られているのは見てのお楽しみ。

そして下の御神宿は酒田市中町マリーン5清水屋6階となっている。
階段からは行けなくて、エレベーターで直行となっている。
こちらも行ってみたが昔懐かしいものがいっぱいあった。

朝から祭り囃子の笛や太鼓の音がひっきりなしに聞こえていた。
この時期になると酒田祭りで気がそぞろになる。

それにしても暑い。
お天気は予想以上に良くなって散歩がてら歩いていると、
汗だらだらになってしまった。

20日には花魁道中など珍しい催しも開催される予定になっている。
また、ディズニーシーのパレードなども企画されている。
お天気がピッタリ良くなればすばらしい酒田祭りとなる。


  


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2016年05月01日

八幡神社、飛澤神社例大祭






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2016年5月1日(日)

今日は酒田市市条地区にある、
八幡神社(はちまんじんじゃ)と飛澤神社(とびさわじんじゃ)の例大祭。

江戸時代、大名行列の供先を務めた「奴」の姿に扮した若者たちが、
毛槍や挟み箱、棹などを手に町をくねり歩く「奴振り」や、
五穀豊饒を祈願する古式ゆかしい「流鏑馬(やぶさめ)」の行事が行わていた。

写真は八幡神社境内で準備していた流鏑馬のかわいい馬の姿。
毎年岩手県遠野市から借り受けて実施しているのだそうだ。

馬は良く訓練が行き届いているのか、
弓を射るときに発するびゅっという音にも慣れているようで、
耳のそばで音が鳴ってもびっくりする様子もなかった。

子どもたちは日頃見ることもない馬に触ることができて、
みな一様にかわいいと称賛の声を上げていた。

荒瀬川の土手まで行列は歩き、
馬の上に立ち上がっての流鏑馬の様子はまるで戦国時代にタイムスリップしたようだった。











  


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2016年04月14日

東平田さくら公園再び


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2016年4月14日(木)

酒田市東平田小学校跡地に新しく作られたさくら公園。
ようやく名前通りのさくらが満開になった。

すぐ隣には特別養護老人ホームあずまが昨年から開所しており、
新しい建物が目を引く場所になっている。

私にとってこの場所は小学校の頃の思い出の詰まったところ。
浜田小学校の担任だった先生が新しい赴任地になった東平田小学校。
野球の好きな私はこの先生を通して東平田の子どもたちと試合をすることになったのだった。

山の上にある木造の学校だったと記憶しているが、
今はその学校も取り壊され、桜の木だけが並んでいた。

グランドは無くなり、きれいな芝生の広場と特老の建物が建っていた。

もうかれこれ50年ほど昔のことになる。






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帰り際、下の道路から上を見ると、
きれいな水仙の向こうに月が出ていた。
昼に見る月もまたいいものだと思った。






  


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2016年04月06日

酒田の城、亀ヶ崎城






2016年4月6日(水)

酒田市亀ヶ崎にある山形県立酒田東高等学校の前に立つ城についての説明。
お天気の良かった昨日散歩がてら立ち寄ってみた。

この図の下には歴史についても書かれていた。
少し長文になるが記載しておく。


「亀ヶ崎城(本丸・二の丸)址」

現在の酒田東高等学校の所在地は、江戸時代まで亀ヶ崎城であった。
文明10年(1478年)武藤氏が築いた東禅寺城が始まりと言われ、
城主には武藤一族が配され、東禅寺城を称した。
天正16年(1588年)越後上杉勢が庄内に攻め入り、
以降上杉氏の家臣が東禅寺城主として酒田を統治した。

慶長6年(1601年)関ヶ原の戦いで東軍についた山形の最上氏が城を包囲。
激戦の末酒田の町は戦火で焼失、城主志駄義秀氏は降伏し庄内は最上氏の領地になった。

その2年後酒田浜に巨大亀が上陸すると最上義光はこれを吉兆と喜び、
東禅寺城を亀ヶ崎城と改称させたと言われる。

元和8年(1622年)最上氏が改易された後、譜代大名の酒井忠勝が庄内藩主となり、
鶴ヶ岡城を居城としたが、亀ヶ崎城も存続を許され江戸時代を通じて城代を置き支配した。

明治になると一時民政局が置かれ、酒田県庁となったが、
合併で山形県が成立すると城は解体された。
亀ヶ崎城の遺構である長く続く土塁が往時を偲ばせる。


長い歴史の中で今は土塁だけがかろうじて残っている亀ヶ崎城。
鶴岡辺りの城跡とは比べられない扱いになっているが、これも止むを得ないのだろう。









少し小高くなっている土塁のあと。
この土塁には欅や松などの大木が大きく成長していた。

この土塁のすぐ西側には八幡神社が祀ってあり、
境内から写したものが3枚目の写真。

酒田市には旧八幡町に来次氏の観音寺城址があり、
東平田地区には池田氏の朝日山城址がある。
そしてもう一つ上の文章の中にも出てくる武藤氏の砂越城址が旧平田町にある。

歴史の好きな私はこれまで何回となくこれら城址を周ってきているが、
まだまだその歴史のつながりをよく理解できないでいる。

楽しみは先に取っておこうというつもりはないが、
ゆっくりと歴史的文書類を探してみたい気持ちになっている。






  


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2016年04月04日

旧白崎医院








2016年4月4日(月)

だいぶ桜の蕾も膨らんできた酒田市南新町の日和山公園に行ってきた。
まだ雨がぽつりぽつり降っていた。

この公園内にはいろんな石碑や歴史的建造物が建てられている。
その中のひとつ「旧白崎医院」は元々は酒田市本町3丁目に建てられていたものを、
大正期における木造洋風建築として貴重なものとして保存することになった。

折しも酒田大火後の昭和51年、
火災復興土地区画整理事業で解体され取り除かれることになっていた建物であった。

昭和55年酒田市指定文化財として現在の場所に移転復元されたが、
4月2日付け山形新聞に、
医学を志す学生を支援する白崎資金医学振興奨励金の贈呈式がこの建物で行われたとの記事が掲載された。

学生は男子2名、女子2名の計4名だった。
そのうちの男子2名の名前と写真を見て驚いてしまった。

二人とも小学生の頃私が指導した野球スポーツ少年団に所属していた。
あまり身体は大きくなくて運動神経の良さで野球をやっていた記憶があるが、
その後も時々顔を合わせることはあった。

あれからもう7年ほど経つのかと懐かしくなってしまった。
拓海君は自治医科大医学部へ、そして英人君は東北大医学部に進学。
写真でもネクタイをキリリと締めがんばっている姿を見せていた。

限りない未来が膨らむ二人を見ると本当にまぶしくなる。
健康に留意し、思い切り力を発揮してほしいと願ってやまない。




  


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2016年03月29日

神社ランキング




2016年3月29日(火)

昨日行った酒田市日吉町にある光丘神社(ひかりがおかじんじゃ)。
ここは下の日枝神社の北側にあってひっそりと佇む隠れた名所。

ところがこのところお参りする人が増えているとか。



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日本の神社ベストランキング(晋遊舎ムック発行)という本の中に、
「会社の経営を成功させたい」が叶う神社ベスト4に入ったのがこの光丘神社。

説明には、
「建立されたのは1925年と歴史は浅いが、
酒田の大地主で農業、漁業、林業に多大な功績を残した名士を祀る」とある。

親切にだれかがカラーコピーして雨に濡れないようにカバーまでして、
お賽銭箱の前に貼りつけてくれていた。

私も四季折々に参拝する場所であるが、
会社の経営をしているわけでもなくあまり御利益は関係なさそうだ。

それよりもこの自然豊かな山王森が、
枯れることなく残ってくれればいいなぁと思ったりする。




  


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2016年03月22日

さかたさんぽ




2016年3月22日(火)

また寒くなってきて体調が悪い。
身体のあちこちが痛む気がしてしょうがない。

酒田市の公共機関等に置いてある観光ガイドブック「さかたさんぽ」。
平成27年4月1日現在の情報を掲載している酒田市観光振興課作成のパンフレットだ。

発行から一年の間にも変わったところはあるが、
それでもこの観光ガイドブックはとても貴重な資料となっている。

湊町酒田の歴史を全面に押し出しての酒田港エリアや山居倉庫エリアなど。
そして日和山公園の紹介や飯森山エリアの芸術文化。

特に各地域の紹介では飛島を全面に押し出している。





県内唯一の離島である飛島は酒田市の人でもなかなか行くことのできない遠い島だ。
私は仕事の関係もあって何回となく行っているが、
最近はその豊富な自然に魅せられて毎年のように訪問するようになった。

鳥海山のある八幡エリアの紹介も目を引くところだ。





東北で二番目に高い鳥海山は全国から登山者が訪れる魅力ある山となっている。
日本海から立ち上がるように聳える単独峰の美しい景観は、
地元では出羽富士と親しみを込めて呼ばれている。

さかたさんぽでは他にも「酒田味さんぽ」や「酒田のいいもの」「酒田のお酒」など、
酒田に特化したものをこれでもかと誌面に掲載している。

また体験観光してみようと年間イベントスケジュール等も載せて、
より楽しい酒田の魅力を紹介している。







  


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2016年03月17日

矢流川溜池は鴨の隠れ家





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2016年3月17日(木)

昨日行った酒田市生石矢流川(おいしやだれがわ)にある、矢流川溜池。
下流部の護岸にひっそりと佇んでいたのは竣功記念碑だった。

昭和4年10月に竣工された溜池は、
毎年秋にはいったん水を吐き出し底が見えるようになる。
そして春また農作業が始まる前までに満水の状態になる。

鳥海山南麓といえども以前は湧水があったようだが、
今は一部を除きそれほど湧水量は多くはなくなっている。
だからこそこの溜池を含めあちらこちらへ溜池が作られている。

この時期渡りの鴨たちはどんどん移動を繰り返しているようだが、
この溜池にはまだまだ相当数の鴨が羽を休めていた。



マガモが主流のようだがコガモやオナガガモも姿を見せていた。
夏になるとこの溜池は人が近づくことができないような状態になる。
蜂やアブなどが我が物顔でぶんぶん飛び回るようになる。

この時期は静かなものだ。
武士瀧神社の脇を通って少し奥まで歩くこともできた。




  


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