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2016年03月13日

五中裏山から鳥海山


(クリックで拡大画像表示)


2016年3月13日(日)

平成23年酒田市立第一中学校と統合になった旧酒田市立第五中学校体育館と校舎。
裏山から仰ぎ見る鳥海山がまぶしい昨日の午後。

酒田市光ヶ丘から続く万里の松原の途中にこんな風景が広がる。
ただし、まだ葉の茂らない今の時期だから見える風景でもある。







散策は酒田市光ヶ丘にある多目的グランド駐車場辺りから始まる。
この周辺はスポーツ施設の駐車場が多く、散策する人もかなりの人数となる。

酒田市立第五中学校裏手の小高い丘から校舎を見るのは初めてだった。
かまぼこ型の体育館があるのはちらちら見ていたが、
藪(やぶ)が多く近寄ることができずにいた。

この時期日差しのある日は林の奥まで日の光が届く。
何気なく向かった先で見た第五中学校越しの鳥海山は新鮮な驚きだった。




  


Posted by めだかの親分 at 08:11Comments(0)酒田の歴史

2016年03月02日

神明さんの歴史




2016年3月2日(水)

なかなかしつこい今年の冬将軍。
今日も雪が降ったり止んだりを繰り返している。

酒田市南新町にある下の日枝神社山王門(さんのうもん)。
立派な作りでいつみても迫力を感じるものがある。

この山王門の向かい側にある神明(しんめい)さん。
今は廃屋になっている売店の裏側に位置しているため、
なかなか目立たないが、歴史的には相当重要な役割を果たしている。

皇大(こうたい)神社


金刀比羅(こんぴら)神社


酒田湊につながる神明坂



湊町そして米都「酒田」の繁栄は北前船によってもたらされた。
酒田湊に寄港した船頭や廻船問屋の荷主が航海の無事を祈って、
必ずお参りしたのが日の神である天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀った皇大(こうたい)神社であり、
後に四国の船頭たちが寄進勧進し、
皇大神社の敷地内に建てられたのが大物主神(おおものぬしのかみ)を祀った「金刀比羅(こんぴら)神社」だった。

ところで話はがらっと変わるが、
この皇大神社と今は廃屋寸前の割烹小幡との間の空き地。
松の木がずいぶん大きくなっている。



この空き地を利用して酒田祭り(5月)には奉納柔道大会が開催されたことがあった。
昭和40年代の話である。

ちょうど私が中学生だった頃、
この空き地に畳を敷いて大会が催されたものだった。
私も出場したが、お客さんがずいぶん見に来てるなぁと緊張した思い出がある。

遠い過去の記憶の片隅に残っているモノトーンの世界である。


  


Posted by めだかの親分 at 18:21Comments(0)酒田の歴史

2016年03月01日

大通り緑地交差点




2016年3月1日(火)

今日は市内の高校が卒業式だった。
ところがお天気が強烈で、朝から吹雪で前が見えないところもあった。
とんでもない卒業式になってしまった。

朝から仕事の私は仕事が終わってから酒田市一番町にある、
大通り緑地を訪れた。
酒田大獅子の子供獅子みなとくんまいちゃんがでんと置かれている。

ここは片側2車線の広い道路を前にして、
かなり緑が多く野鳥も頻繁にみられるところ。

残念ながら今日はやはり風が強いせいか観察することができなかったが、
すぐ後ろにある酒田市立資料館にも立ち寄ることができる。





先日開催された「鳥海山・飛島ジオパーク構想」の中で話題になっていた、
飛島の「島船」が置かれていた。
確かに底の部分はとても頑丈そうに見える。
磯の岩にぶつけてもこわれない磯見漁用の優秀な船だとのことだった。



そして、この緑地のすぐわきの交差点の隣には、
いつもオードブルや中華料理でお世話になっている「小の木精肉店」がある。

タイミングが良ければとんかつや肉団子、シュウマイなどを買うことができるが、
時間が遅くなるとすべて売り切れてしまう。

街の真ん中に位置する大通り緑地は、
酒田祭りや港まつり、どんしゃん祭りなどの中心のすぐ隣にある。



木製のベンチにはまだ解け切らない雪が積もっていた。
寒々しい景観だが、もう少し経てば柔らかな日差しがまぶしい季節となる。




  


Posted by めだかの親分 at 17:09Comments(0)酒田の歴史

2016年02月27日

鉄路が消えて




2016年2月27日(土)

酒田市大浜埠頭近くの踏切のそばで鉄路が消えてもう何十年になるのか。

当時国鉄酒田駅から臨港線が酒田港駅までできたのが大正4年。
その後分岐の鉄路が建設され、
写真は食糧庁倉庫や花王酒田工場の脇を通り、
大浜埠頭へ至る山形県営公共臨港線の途中となっている。

一応踏切らしき体裁はあるものの、
一時停止の標識もなく、見れば2本の鉄路の真ん中に松の木が生えている。

これまでの経過がどうなっているのか詳細は不明だが、
こんな鉄路の状況があちこちで散見される。

何とも物悲しいとしか言いようがないが、
時代の変遷とともに必要とされたものが捨てられていく姿を目の当たりにする。





ようやく春だと明るくなった空を見ていたが、
まだまだ雪が残る寒々しい状況がここにはある。


  


Posted by めだかの親分 at 18:29Comments(0)酒田の歴史

2016年02月16日

酒田市中町界隈





2016年2月16日(火)

月に一度の血液検査や問診、触診の日。
酒田市中町にあるのぞみ診療所に行く途中の中町界隈。

写真は寿町にある中島精肉店を右手に見ながら、
左奥には元の清水屋百貨店であるパイレーツビルがある。

その手前には居酒屋で有名な久村酒店が角にある。
昔なら夜は大いに賑わっていた通りでもある。

昨日の寒さのせいで真っ白くなった道を診療所に向かった。
診察は短時間で終わったが、薬の調合に時間がかかり、
帰りはやはり午後になった。

寒さにも関わらずいつも通りの血液検査の結果でほっと安心する。
少し無理をしたくなってきたが、もう少し暖かくなってからだろう。


  


Posted by めだかの親分 at 12:47Comments(2)酒田の歴史

2016年01月18日

飛島の昔話




2016年1月18日(月)

酒田市の離島「飛島(とびしま)」の歴史を、
より多くの人、特にこどもたちに知ってもらいたいと、
制作された「とびしまむかしがたり」。

この中には8話のむかしがたりが掲載されている。
そして2話ごとに4人の作家が挿絵を付けてイメージを膨らませている。

これまで聞いてはいてもあまり実感のないお話しが、
よりわかりやすく絵本のような形で再現されたようでとても楽しい。

中には不気味な鬼の絵があったり、
美しい島の風景があったり見ごたえのある挿絵が続く。

単なる絵本と違うのは、
離島「飛島」ならではの深い歴史につながる、
物語なのだということだろうか。

じっくりと味わいながら読んでいくと、
また春になったら飛島に行って、
今度はこの道を歩いてみようとか、
こっちの浜辺を確認してみようなどと今から楽しみが膨らんでくる。


  


Posted by めだかの親分 at 18:14Comments(0)酒田の歴史

2016年01月10日

旧国立倉庫は夢の跡






2016年9月10日(日)

酒田市光ヶ丘にある旧国立倉庫跡地。

大正15年6棟の巨大な倉庫が竣工されたところは、
きれいさっぱりと平地になっていた。

かろうじて残っているのは東北農政局山形支局酒田駐在所の建物。

大正時代、時の商人本間家八代目光弥が政府に寄付した12000坪もの、
広大な土地が空白に戻ってしまった。

確かに平成16年景観法が施行され、
日本全国の「悪い景観100選」に選ばれたときは、
さすがの酒田市民もその姿に目を覆いたくなっただろう。

しかし、こうも見事に広大な空白の土地を見せつけられると、
いったいどうしたらいいのだろうと考え込まざるを得なくなってしまった。

この土地を取り囲むように敷かれている酒田臨港線の線路は、
これからどうなるのだろうか。
雑草が生い茂る鉄路脇の敷地、そして赤錆に塗れている何も走らない線路。
何とも物悲しくてやるせない思いが体の中を通って行った。



  


Posted by めだかの親分 at 08:03Comments(2)酒田の歴史

2015年12月07日

赤川新川の歴史








2015年12月17日(月)

酒田市広野字奥井地区にある三所神社(さんしょじんじゃ)。
この中にある二枚目の写真から、
赤川新川の歴史を垣間見ることができる。

そもそもなぜこの地にあるのかも定かではないが、
昔はこの近くを赤川が通っていて最上川と繋がっていたのかもしれない。

現在のように赤川新川が最上川と離れ、
直接日本海に注ぐようになったのは昭和2年からだと言う。
約6年間の歳月をかけて広野村(当時)や袖浦村(当時)の洪水被害を救ったのである。

秋田県の代議士榊田清兵衛が県境を越えてまで、
当局に働きかけた功績を讃えているが、
私には砂山を掘削して赤川新川を作ったという事実が驚きだった。

ずいぶんくたびれた奥井集落の看板だが、
「欅 みどりの里 奥井」と書かれている。

何の変哲もない神社のように見えるが、
実は洪水被害の真っ只中だったのかもしれない。

  


Posted by めだかの親分 at 08:04Comments(0)酒田の歴史

2015年11月27日

三居稲荷も冬の色








2015年11月27日(金)

昨日午前中撮り貯めておいた酒田市山居町にある山居倉庫。
午後からは雨が降ってとってもじゃないが外に出られなかった。

ずいぶん寒くなった。
ついこの前までぽかぽかと陽気の良い日が続いたが、
急にぶるぶると震える寒さがやってきた。

山居倉庫の欅並木もすっかり葉を落として、
放射状の枝ぶりを眺めるだけになった。
広い瓦屋根と欅の枝ぶりが対称的でおもしろい。

ところで、
西側中央辺りにある三居稲荷の社だが、
勘違いして山居稲荷と書く人がいる。

あながち間違いではないが正確には三居稲荷なのだ。

明治26年の建設時、旧藩主の酒井家の太郎稲荷、
徳川家の禎祥稲荷の2柱を謹請。
それまであった山居稲荷と合祀して三居稲荷と改名。
倉庫鎮守の神とした経過があったのだった。

北からの風に煽られて幟が棚引いていた。
そろそろ雪の季節になってきた。



  


Posted by めだかの親分 at 08:06Comments(2)酒田の歴史

2015年11月07日

アシカソリ走る!




2015年11月7日(土)

今日オープンした酒田スワンスケートリンク。
酒田市体育館の中に設置されたリンクは外の天気に左右されず、
心地よい氷の上を颯爽と滑ることができる。

ただしリンクはそんなに広くはないので、
休みの日ともなるとかなりの混みようで芋の子を洗うような感じになる。

今日はオープンしたばかりでまだ知名度が上がっていないせいか、
皆さんそれなりに緊張しながらもスケーティングを楽しんでいた。

活躍していたのは「アシカソリ」。
子供が座って大人が押してもらう形になるのが普通だが、
なぜか大人だけが楽しんでいたり、大人が座って子供が押していたりする。

また今年も輝く氷の上で楽しむ季節がやってきた。
明日も今日と同じように10時オープン。
午後6時まで滑ることができる。


  


Posted by めだかの親分 at 17:26Comments(0)酒田の歴史

2015年11月06日

新井田川跨線橋付近改修










2015年11月6日(金)

酒田市浜田にある跨線橋の付近がきれいに整地されていた。
もとより向かい側の新橋側には遊歩道が整備され、
散策はもっぱら向かい側だった。

浜田側は雑草が鬱蒼と茂り人が歩くには少し勇気が必要だった。
それが、雑草は切り払われ整地までされている。

昔、私が小学生だった頃はこの跨線橋はまだ舗装もされてなくて、
砂利道の上をボンネットバスが走っていた。

この西側にも田んぼがまだあって、
竹の釣り竿に近くで捕まえたサクラミミズをカンカラに入れて、
バケツ片手に釣りに行った新井田川の場所だ。

フナやナマズ、タナゴや金魚、時には雷魚などが釣れたりした。
珍しいのでは亀なども釣れた。
いったいどんな川だったのだろうと、いま思うと不思議な感じがする。

丸い石が積み込まれた石垣が何十年ぶりかで見えた。
今までは藪の中だった。

さてさて、これから何が始まるのだろうか。
いや、すでに何十年も経ったこの跨線橋自体の強度検査でもあるのだろうか。
少しアスファルトにもひびが入ってきているこの道路。
確かによく見ると危険な状態になっているようでもある。



  


Posted by めだかの親分 at 17:29Comments(0)酒田の歴史

2015年11月05日

中の口橋と夕焼け




2015年11月5日(木)

昔からの本町通りの延長線に伸びた中の口橋。
酒田市のほぼ真ん中になってしまった。

きれいな夕日が沈んでゆく。
風もなく静かな夕焼け。

コープ中の口の近くの新井田川土手から撮影した。
ゆっくりと少しずつ暗くなってゆく景色の中に沈んでゆくようだった。


  


Posted by めだかの親分 at 18:16Comments(0)酒田の歴史

2015年10月22日

北平田小学校跡










2015年10月22日(木)

酒田市漆曽根にある旧酒田市立北平田小学校跡地。
モニュメントに次の文があった。


未来へ
明治8年、漆曽根、上興野、中野曽根、牧曽根、漆里学校創立、現在の岡本家宅に、
明治14年、新青渡、久保田、曽根田、古青渡、円能寺、布目、誠信学校創立、現在の曽根田地区に、
両校舎併し明治24年現在地に創設、北平田小学校138年の歴史を刻み北平田教育文化の跡となる
酒田市立北平田小学校跡
(全文)

ここは私の母の実家があるところでもあり、
そして私と弟が生まれた地でもある。

私が野球スポーツ少年団の監督時代は何度も練習試合をしたグランドも、
今はだれも遊ぶ子どもはいない。

こんな風にして地域から人がいなくなっていくのだろうか。
何ともやるせない風景ばかり残っていく。





  


Posted by めだかの親分 at 08:02Comments(0)酒田の歴史

2015年10月18日

田沢川ダム内部見学








2015年10月18日(日)

一度は行ってみたいと思っていた田沢川ダム内部見学に行くことができた。
酒田市でも相当山奥にはいる山元地区にある田沢川ダム。
最上川山系田沢川の水を利活用しようと昭和61年着工、平成13年に完成した。

ダムに貯水してできたひらた赤滝湖。
この時期は紅葉を写してとても美しい。

ダム堤体上部右手からのコンクリートの階段をいったん下まで降りる。
一段が相当高く、子どもたちはかなり苦労していた。

一番下を流れるのは田沢川。
しばらく流れて途中から相沢川と合流して最上川へと注いでいる。









一番下の入口からはしばらく歩かねばならなかった。
もちろん階段もあって、これまた一段がかなり高い。

内部はヒンヤリとするがしばらく階段を昇ると汗が出た。
思ったよりもきれいだなと言うのが第一印象だった。

途中からエレベーターを使用して一番上のダム堤体上部へ行くが、
この表示が面白い。
地下1階では止まらずいきなり1階だった。







一番上から昇り始めた下を写した。
相当人間が小さく見えるがこれでも100mはない。
美しい女性の像が待っていてくれた。







蛇足を二つ。
一つは下に降りて川に沿って歩いていくと魚のつかみ取りが行われていた。
つかんだ魚はそのまま焼いてむしゃむしゃ食べていた。
私は塩分制限もあって遠慮して帰ってきた。

もう一つは田沢川へいた大きな鯉。
自然のものだろうが、こんな上流まで鯉は登ってくるのだろうかとびっくりした。


なお、今日は第14回田沢川ダムまつりで、
南平田小学校スクールバンド演奏や来場者への苗木・温泉入浴券プレゼントがあったり、
仁助新田保育園和太鼓演奏、ユニサイクル「ケセラ」一輪車演技などで賑わっていた。









  


Posted by めだかの親分 at 17:54Comments(2)酒田の歴史

2015年10月17日

チョコバナナとマヨタコ






2015年10月17日(土)

酒田どんしゃん祭り一日目に行ってきた。
すばらしいお天気で人出もかなりのものだった。

チョコバナナ専門店を初めて見た。
いろんなチョコバナナが飾られていた。

私が買ってきたのはマヨタコ。
一粒がかなり大きなたこ焼きだった。
昼飯代わりに食べたがタコもかなり大きいのが入っていた。

ところでゆるキャラがいっぱいいた。
もしぇのんやあののんを始め、
遊佐の米~ちゃんや旧八幡町のワッシー君。
などなど。
あまりの顔の大きさに泣く子もいたりして結構楽しい。

明日はシティマラソンなども同時開催され、
ますます祭りは盛り上がる。


  


Posted by めだかの親分 at 16:31Comments(0)酒田の歴史

2015年10月14日

浜田橋(酒田市)








2015年10月14日(水)

酒田市東栄町付近で撮影した浜田橋。
昔はこのすぐ下流に幅2mほどの歩道専用の橋があったが、
残念ながら撤去された。

考えてみれば確かに無駄な橋だったかも知れないが、
浜田小学校から若浜小学校まで練習試合でいくのには、
とても都合がよかった。

今は浜田橋のすぐ脇に歩道専用の橋も併設されている。
その向こうには羽越本線の跨線橋があって、
ちょうど貨物電車が通って行った。

鳥海山が真正面に見えるはずだが、
この厚い雲ではどうしようもない。
かろうじて青空が見え隠れする天気はとても寒い。

秋の日差しはあまり暖かくはないがまぶしいくらい反射する。
乱視の私はかがぼしい(まぶしい)なかを歩くことになる。


  


Posted by めだかの親分 at 17:54Comments(0)酒田の歴史

2015年09月09日

日向川栄橋事情








2015年9月9日(水)

秋になると思い出す場所がある。
遊佐町白木にある日向川にかかる栄橋である。

2年前の9月に掲載した記事を下記に示しておくが、
その後の扱いについて記入しておきたいと思った。

昨日行った栄橋は一昨年と同じように立ち入り禁止となっており、
そのまま廃れた様子は変わってはいなかった。
ひとつ上流の国道7号線が通る宮海橋の歩道から撮った写真は、
2年前とほとんどかわっていなかった。

このような変則的な姿になった当時、
右岸側も破損時点で正常な姿になる予定だったが、
なかなか破損しないまま時々補修することが続いていた。

また、架け替えに要する費用が4億円と見込まれており、
果して架け替えるだけの需要があるのかどうか疑問も呈されていた。

2012年10月19日から、通行に危険な状態ということで、終日全面通行止めとなっている。
2013年3月発行の橋梁長寿命化修繕計画では、本橋の補修方針として、
時期未定で「架け替えまたは撤去」が示されている。

果たしてこのまま老朽するのを待つのみとなっているのが現状である。








  


Posted by めだかの親分 at 08:04Comments(0)酒田の歴史

2015年09月05日

万里の松原ー時代の変遷


(クリックで別窓に拡大画像表示)


2015年9月5日(土)

昨日散策に行った万里の松原にある案内板。
興味のある人は良く見ている内容であるが、
その中身はずいぶん昔から変わっていない。

何しろこの案内板を作った酒田営林署自体すでになく、
その跡地に住宅が建ってからずいぶん過ぎた。

林野庁の東北管理局、酒田森林管理センターが廃止されたのが、
平成16年(2004年)だったからすでに10年は過ぎている。

中身を見ると酒田中央高校はすでに校名変更となり、
酒田市立第5中学校は廃止されている。
酒田経済短期大学なんていつの時代のものだったか。

すべて現状維持にしてほしいと言っているわけではない。
しかし、この十年間はいったい何だったのか。



明るい林が続く万里の松原。
気持ちがすっきりする道が続く。



見晴らしの丘から覗く北側の庄内平野はすでに秋の雰囲気となっている。
田んぼの色も黄色が強くなり、すでに鶴岡では稲刈りが始まっている。



  


Posted by めだかの親分 at 08:04Comments(0)酒田の歴史

2015年08月23日

福市だんご








2015年8月23日(日)

今日は酒田市麓にある福市神社の例大祭の日。
舞鶴公園の片隅にある神社の境内にはテントが建てられ、
福市だんごが売り出されていた。

いつもはひっそりと人通りもほとんどない福市神社の境内。
今日ばかりは次から次とおだんごを求めて人が集まってきた。

この福市神社、元は海の神の恵比寿様を祀っていたが、
福市神社と呼ばれるようになったのは観音寺城主三代の、
来次氏秀が旧八幡町本町に歳の市を開いてからとのこと。

社殿が現在地に遷座したのは昭和39年東京オリンピックの年。
いろんな歴史が積み重ねられてきている。



  


Posted by めだかの親分 at 18:12Comments(0)酒田の歴史

2015年08月21日

亡利(もり)の山の平和の鐘




2015年8月21日(金)

仕事が終わってから酒田市八幡地区荒瀬川周辺を散策。
小降りながら雨が降っていた。

真っ赤な幟(のぼり)があちこち点在している。
何だろう。

「奉納南無地蔵大菩薩」
亡利(もり)の山慰霊堂奉賛会と書いてあった。
最初何と読むのかわからずネットでいろいろ調べてようやくわかった。

毎年8月15日の終戦の日に平和を願い、
舞鶴公園の向側にある丘の上に設置されている平和の鐘を打ち鳴らすのだそうだ。









歩いて亡利の山を登って行くと、
途中にある祠(ほこら)のなかに小さなお地蔵さんがいっぱいあった。
かわいいお地蔵さんでみんなにこにこしている。

平和の鐘は誰がついてもいいように注意書きが書かれてあった。
私も一度だけ鳴らしてみたがとても深い音が響き渡った。

確か今年の8月15日は土砂降りじゃなかっただろうか?
近くで花火の音がしていたと記憶しているが、この鐘の音だったのだろうか。

同じ酒田市でありながらまだまだ歴史のつながりが不十分なままの私。
少しずつでも地域のことを学んで行きたいと思っている。





  


Posted by めだかの親分 at 18:03Comments(0)酒田の歴史