2016年05月04日

館岩の謎








2016年5月4日(水)

酒田市飛島港入口左手にある大きな岩が館岩(たていわ)。
観光用のパンフレットや現地の案内板にもある通り、
謎の刻線刻画石や石塁などがあるとのことで登ってみた。

ほとんど直登に近い階段をずんずん登っていくと、
後ろにある眺めがとても良いことに気付く。
さっそく写真を撮るが、そのまま下を見ると足がすくむほど高くなっていた。



ようやく上に到着するとベンチが準備されていた。
すぐ隣にある百合島方面を向いている。
そして大きな岩が目の前に聳えていた。





大きな岩の左手を歩いて行くと平らなところに出た。
草原のようになっている。
夏ならここはトビシマカンゾウの群落になっているところかもしれない。



そのまま草原を歩いて行くと船の音が聞こえた。
飛島丸の二便目が到着したところだった。

下から見ると想像もつかない館岩の頂上部は平らになっていた。
しかし、石塁や古代文字などはどこにあるのだろうか。
草に埋もれてさっぱり見えなかった。

柵に沿ってグルリと周ってみたが整備されてない道があった。
ほとんど藪の状態でとても行ける状態ではなかったが石塁はそちらだったのだろうか。

残念ながら面白い発見や伝説などのヒントは見つけることができなかった。
そしてパンフレットなどにもそれ以上のことは掲載されてはいなかった。

今話題になっているジオパークの説明ではこの辺のことは、
どんな説明をすることになっているのだろうか。
少し興味はあるが、またのお楽しみでもいいかなと思う。










  


Posted by めだかの親分 at 19:25Comments(0)酒田の伝説

2015年08月24日

金生沢の獅子岩






2015年8月24日(月)

酒田市東部にある東平田地区。
金生沢と書いて「とがりざわ」と読むところがある。

いろいろと言われはあるようだが実際この地を歩くのは初めて。
案内の看板に大きく書かれてあるように、
沢にあった獅子岩という大きな岩を掘ったところ金が出てきたことから、
金生沢と名付けられたらしい。

ところがこの看板のあるところから歩いて行くと、
円応寺の案内はあるものの獅子岩の案内はいっさいないのだった。

止むなく犬の散歩をしていたおじさんに聞いて見ると、
円応寺の上流に位置すると言われる。











円応寺入口から右に入り沢伝いに登ること約5分ほど。
左手に大きな岩の塊があった。

この岩が獅子の顔に似ているところから獅子岩と名付けられたらしいが、
実際にはイノシシの住んでいたほら穴だったことから獅子岩となったと言う説もある。

平田中学校の生徒の皆さんががんばって作成した金生沢の案内板。
やはりこの岩から金が出てきたことにした方が楽しみがある。

金生(きんしょう)神社跡地となっていたが、
現在金生神社は登り口が別になっており、
立派な鐘なども備え付けられていた。












車がようやく1台通れるくらいの細い路地。
オニヤンマがゆうゆうと縄張りの見回りをしているような静かなところだった。











  


Posted by めだかの親分 at 18:30Comments(0)酒田の伝説

2015年07月04日

せき止め様








2015年7月4日(土)

雲が暑い太陽を隠してくれて気持ちの良い朝である。
この時期太陽が差し込むと朝から汗だらだらになる。

先日行った酒田市八幡地区。
舞鶴公園南側の小高い山の上にある赤い鳥居に行ってみた。
以前から何があるのだろうかと興味はあったが、
そこには昔からの言い伝えが書かれていた。

「せき止め様」

昔々、東北地方では悪者が出没し、未開の地であったとき、
平和な村にしようと百合若大臣は大勢の家来と緑丸という鷹をつれて北の地に来たが、
不運にも亡くなってしまいました。

百合若は悲しみ緑丸のために沢を緑沢(通称湯之沢)と命名し、
山上には墓石を立てて供養したと言われる悲運の伝説の墓石である。

以来土地の人には子どもの「せき」が止まらないとき、
墓石に藁のつなぎを巻き病が良くなり緑丸のような美しい丈夫な子になるように、
お願いし、墓石の欠片を持ち帰ったものであるという。

現在でも子どもの健康を守る「せき止め様」として、
土地の人々には深く信仰されている。

以上全文。

すでにどこかの文献に記録されているものであろうが、
身近にある言い伝えもまた楽しくなる。


  


Posted by めだかの親分 at 07:59酒田の伝説

2015年02月23日

庄内おばこの梢ちゃん






2015年2月23日(月)

前記事に引き続きで申し訳ないが、
遊佐町小原田にある「都興山帝立寺」は、
庄内おばこ発祥の地であった。

●「庄内おばこ」歌詞

おばこ來るかやと
田甫(たんぼ)のはんづれまで出て見たば
おばこ來もせで
用のない煙草賣りなど、ふれて來る。
 
酒田山王山(やま)で
海老コとかんずかコと
相撲取つたば
海老コなんして叉、腰や曲つた
かんずかコと相撲コ取つて
投(なん)げられて、それで腰や曲つた。

最近は酒田甚句ばかりが目立って、
この庄内おばこはほとんど聞くことが無くなったが、
この訛り具合(酒田弁)は実際酒田出身の人でないと歌えないのではないかと、
少し心配になってきたりする。
そしてお囃子のこばえてこばえても今は聞くこともない。


私が高校を卒業後、秋田県大館市の郵便局へ就職したとき、
職場でお酒が入ると必ず一人一曲唄を歌うことになっていた。
大抵は民謡の手拍子が始まる。
そして秋田節やドンパン節が歌われた。

私は庄内出身と言うことで庄内おばこを歌ったが、
秋田おばこの歌のうまさに圧倒された記憶がある。
秋田おばこ節の歌詞も楽しい歌詞であった。

庄内おばこ節の発祥が遊佐とは全く知らなかったが、
梢ちゃんという名前からして楽しそうな歌になっている。

しばらくぶりに聞いてみたくなった。



  


Posted by めだかの親分 at 18:32Comments(5)酒田の伝説

2015年02月08日

もろみ地蔵さん










2015年2月8日(日)

今日も穏やかな日だが雲が多い。
我が家から徒歩で5分ほどのところ、
浜田小学校から旧新片町(北側駅前方面)へ行く細い小路の途中にあるお地蔵さん。

今は冬なので板塀で囲いをしているが、
そこには生けられたばかりの生花がお供えされていた。

2体あるお地蔵さんだが、誰云うともなくもろみ地蔵さんと呼ばれている。

言い伝えによると近くの筑後町の酒屋さんに毎日のように、
夕方になると笊(ざる)を持って醪(もろみ)を買いに来るお坊さんがあった。
お坊さんならばたいてい顔を知っているものだが見たことはない。
丸い顔をしたにこにこ顔で眉の丸いいかにもお地蔵さんのような顔だった。

あるときお坊さんが帰るあとをつけてみると、
地蔵堂のある細い小路へ入って行き、いつの間にか姿が消えていた。

あくる朝不思議に思って地蔵堂のお地蔵さんへ行ってみると、
口の周りに醪(もろみ)のついたお地蔵さんがあった。

それからと言うもの酒屋の主人は毎日夕方になると醪(もろみ)をお供えするようになった。
それ以来ぷっつりとお坊さんは来なくなったという。
そして酒屋はずいぶんと繁盛したと言う。

以前はこのお地蔵さんの前に休み石もあったそうだが、今は無い。
お地蔵さんは昔、新井田川を流れてきたのを堀切の藤井さんがお祀りしたと言われる。
藤井さんはその当時の大名主さんである。

私が小さかった頃はカタツムリのいる小路として良く捕まえにいったが、
今は周りの環境が変ってカタツムリはいなくなっている。


  


Posted by めだかの親分 at 13:01Comments(4)酒田の伝説