2014年02月27日

甲午震災記念碑








2014年2月27日(木)

仕事が終わった午後4時過ぎ、野鳥を探しに日和山へ行った。
曇り空で条件は最悪だが、何かいるかと竹藪の細い道を歩いていると、
大きな石があった。
いや、見事な記念碑があった。

ここは日枝神社随神門に通じる大鳥居の左側から登ったところ。
『甲午震災記念碑』とあるが中味はそのまま記した方が良さそうだ。
120年前、当時の酒田町の様子がよくわかる歴史的な碑だった。


『甲午震災記念碑』

明治27年(1894)10月22日午後5時35分、庄内地方は大震災にみまわれた。
夕飯の時刻でもあったので、火災も発生し、未曾有の大惨事となった。
酒田町の過半数に当たる1747棟の家屋が全焼し、160人を超える死者がでた。
庄内全体で死者700人を超し、焼失家屋も3500棟を超したが、
船場町、傳馬町、秋田町、袖浦村、広野村、新堀村など、最上川下流域地帯の被害が特に激しかった。

天皇皇后両陛下の御下賜金、全国からは多額の義援金が送られるなど震災救侐があった。
本間家は仮設病院建設の為に200円を拠出した。

旧庄内藩主酒井氏、風間氏、本間氏、松井氏、池田氏など鶴岡、酒田の豪商有力者による救援炊き出し、
本町太平医師など町医者による病人、怪我人の医療が行われた。

明治33年、白崎善吉、橋本熊五郎、木村茂三を建設惣代人とし、
酒田浄福寺住職菊地秀言が碑文を作り、石碑を建てて賑侐の徳を悠久に伝えるとともに、
防災の心構えを忘れないよう是に記した。
(全文)


当時の酒田での被害がどの程度だったのか、少し調べてみたくなった。




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Posted by めだかの親分 at 19:14│Comments(0)酒田の歴史
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