2016年04月06日

酒田の城、亀ヶ崎城






2016年4月6日(水)

酒田市亀ヶ崎にある山形県立酒田東高等学校の前に立つ城についての説明。
お天気の良かった昨日散歩がてら立ち寄ってみた。

この図の下には歴史についても書かれていた。
少し長文になるが記載しておく。


「亀ヶ崎城(本丸・二の丸)址」

現在の酒田東高等学校の所在地は、江戸時代まで亀ヶ崎城であった。
文明10年(1478年)武藤氏が築いた東禅寺城が始まりと言われ、
城主には武藤一族が配され、東禅寺城を称した。
天正16年(1588年)越後上杉勢が庄内に攻め入り、
以降上杉氏の家臣が東禅寺城主として酒田を統治した。

慶長6年(1601年)関ヶ原の戦いで東軍についた山形の最上氏が城を包囲。
激戦の末酒田の町は戦火で焼失、城主志駄義秀氏は降伏し庄内は最上氏の領地になった。

その2年後酒田浜に巨大亀が上陸すると最上義光はこれを吉兆と喜び、
東禅寺城を亀ヶ崎城と改称させたと言われる。

元和8年(1622年)最上氏が改易された後、譜代大名の酒井忠勝が庄内藩主となり、
鶴ヶ岡城を居城としたが、亀ヶ崎城も存続を許され江戸時代を通じて城代を置き支配した。

明治になると一時民政局が置かれ、酒田県庁となったが、
合併で山形県が成立すると城は解体された。
亀ヶ崎城の遺構である長く続く土塁が往時を偲ばせる。


長い歴史の中で今は土塁だけがかろうじて残っている亀ヶ崎城。
鶴岡辺りの城跡とは比べられない扱いになっているが、これも止むを得ないのだろう。









少し小高くなっている土塁のあと。
この土塁には欅や松などの大木が大きく成長していた。

この土塁のすぐ西側には八幡神社が祀ってあり、
境内から写したものが3枚目の写真。

酒田市には旧八幡町に来次氏の観音寺城址があり、
東平田地区には池田氏の朝日山城址がある。
そしてもう一つ上の文章の中にも出てくる武藤氏の砂越城址が旧平田町にある。

歴史の好きな私はこれまで何回となくこれら城址を周ってきているが、
まだまだその歴史のつながりをよく理解できないでいる。

楽しみは先に取っておこうというつもりはないが、
ゆっくりと歴史的文書類を探してみたい気持ちになっている。









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Posted by めだかの親分 at 08:04│Comments(0)酒田の歴史
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